穏やかな空に海鳥が啼く。声を追うように上を見れば、高く昇った太陽が空と海とを輝かせている。
 海風に吹かれながらも、真昼ともなれば暑さを感じさせもする強い陽光は、早くも夏の気配を滲ませていた。抜けるような青空を見上げたまま、譲は眩しさにふと手を翳す。今日は一段と日射しが強い。
 海辺の砂浜には、陽光を遮るようなものなどなにひとつない。視界を灼かれるような感覚を覚え、僅かに顔を顰めながら砂浜を見渡した譲は、視界の遙か先にようやく見慣れた姿を見出した。
 砂浜の切れ目に僅かにできた木陰から、彼女の後ろ姿が覗いている。その背中を視界に捉えたと同時にやはりここだったかと思ったのは、彼女を探して行き着く先が大抵この辺りだからだ。
 動かない背中に何をしているのだろうかと訝りつつ、譲は足早に望美のもとへと歩み寄った。近づく足音は砂に吸収され、波に呑まれ、彼女には届いていないらしい。ようやく反応があったのは、譲が十分に声の届く距離まで来たときだった。
 先輩、と声を掛けるより僅かに早く、緩やかに振り向いた望美は、譲の姿を認めると目端に笑みを滲ませた。微笑んだ唇の前に、そっと人差し指をあてる。
 静かに、と伝える仕種の理由は、尚も近づいてみれば知れた。
「将臣くん、寝ちゃってるから」
 潜められた望美の言葉通り、遠目からは死角になっていた場所に、兄が寝そべっていた。彼女の膝に頭を預け、風が髪をなぶるに任せて。無造作に四肢を投げ出した兄の寝顔は、至極暢気なものだ。見下ろした譲は内心、まったく、と毒づいた。
「先輩、重くないですか?」
 譲の声に、彼女は笑みを崩さないまま柔らかく頭を振った。
「重いけど、いいの」
 応じた声は、囁くほどの声色。しかしその微かな声には、嬉しいことをそっと打ち明けるかのような響きがあった。幸せな内緒話でもしているような望美の様子に、譲はそれ以上言い募ることを止めた。まったく兄さんは、という台詞を、溜息と共に飲み下す。代わりに口をついたのは、「先輩がいいなら構わないですけど」という呟きだった。目の前の笑顔が胸に堪えて、さりげなく視線を逸らす。
 密かな諦め混じりの言葉は、彼女の耳にどう聞こえたのか。横目で様子を窺うと、譲から視線を離した望美は、再び膝の上に視線を落としていた。俯いた彼女の表情は見えなかったが、口元が綻んでいるのは見て取れる。指先が不意に動き、そっと将臣の髪に触れた。優しげに髪を撫でる仕種は、つい先頃まで『源氏の神子』として戦場で剣を振るっていた姿とは別人のようだ。眩しく見えるのは変わらないのに、放つ光の色が明確に違う。
 幼い頃からずっと視線で追い続けてきたから、わかる。仕種ひとつの意味も、ふたりを包む空気の違いも。日射しの眩しさ、夏の気配を感じさせる大気に反して、ふたりの作り出す光景だけが春風の柔らかさだ。
「……こうしてると重いんだけどね、その分、将臣くんがここにいるって安心する」
 透き通る声音で呟いた彼女は、今、何を思うのだろう。戦いの最中、皆の前では弱音を吐かなかった彼女の心底からの祈りが、言葉の端に見え隠れする。誰を想い、何を憂いながら戦場に立ち続けたのか、全て終わった今だからこそ、ようやく本当のことが口に出せるのだろう。深い想いの込められた言葉に、俄には返す言葉が浮かばなかった。
 沈黙を攫うように、ひときわ強い風が吹き抜ける。望美の長い髪がふわりと流れ、幾筋かが将臣の顔の上に落ち掛かった。慌てるように髪を押さえる彼女の膝の上で、眠り込んでいた将臣が身じろぐ。やがて目を開けた将臣が頭上からの陽光に眩しそうに瞬きするのを見て、望美はその顔を覗き込んだ。
「ごめん、起こしちゃったね」
 日射しを遮るように首を傾げた望美の顔に視線を止めて、将臣が目を細める。構わねえよ、と応じた声は、ぞんざいなようでいながらひどく優しげだった。
 ほんの一言、その遣り取りだけでわかる。今のふたりが互いの心に占める位置を悟らされる。
 こうして三人でいても、昔とは違うのだ。危ういバランスながら幼馴染みというルールに括られていたのは既に過去の話。三人を繋ぐ線はもう、三角形を描くことなどない。ふたりとひとり。手を伸ばしても、受け止める者はない。
 将臣の視線がふと動いた。相変わらず望美の膝に頭を預けたまま、首だけを巡らせて譲を見遣る。「どうした、譲」と問う表情もやはり穏やかで、『還内府』と呼ばれていたことなど全く窺わせるものではなかった。
 メシができたか、と続いた将臣の声に、望美が小さく吹き出す。
「将臣くんってばそればっかり」
 台詞こそは呆れたような様子を漂わせているが、その声音には窘めるような響きなどなく、耳に柔らかく溶ける甘さだけがあった。ふたりが目を見交わす光景が、また胸を衝く。
「……いや、まだだから、また後で呼びにくるよ」
 それだけ言うと、譲はふたりに背を向けた。わざわざ悪いな、と呑気な声が後ろから聞こえたが、答えは返さなかった。
 横目に海を見遣れば、水面に跳ねる光がひときわ眩しい。反射的に顔を顰め、それでも譲は海の遙か遠くを見詰めたまま歩き出した。目の奥が痛いのは、きっと余りにも海が眩しすぎる所為だと独りごちながら。

Fin.

「青色20題」は、物書きさんに20のお題よりいただきました。