ささの葉さらさら、のきばにゆれる ――
 馴染み深い歌が、ブラウン管の向こうから聞こえてきた。
 時刻は夕方。チャンネルを合わせている報道番組では、今日の主要なニュースをあらかた伝え終わって、一区切り付いたところだ。
 女性キャスターの、今日は七夕ですね、という前置きに続いて、どこかの街頭だろうか、大きな竹飾りが画面に映った。人通りの多い場所に設置された竹飾りには、街行く人が自由に短冊を提げられるようになっているらしい。画面には、子供が短冊を書くのを手伝っている母親や、友達同士ではしゃぎながら短冊を手にしている学生などの姿が、順番に映し出されている。
 背後に流れる『たなばたさま』の曲にあわせて、小声で歌を口ずさんだ。以前は意味も知らないまま口にしていた歌詞が、今はわかるようになっている。そんなに昔のことじゃないはずなのに、と思うと、不思議な、そして懐かしい気持ちになった。
 歌が終わって間もなく、番組は次のコーナーへと進行していった。それを余所に、テレビの画面から目を離して、花梨は「七夕かあ……」と呟いた。
「小学生の頃とか、そういえば学校で、竹飾り、作ったなあ」
 はさみや糊を片手に、クラス中が笑いさざめいていた光景が、脳裏に浮かんだ。張り切っていた自分の姿を思い出すと、思わず笑みが零れてしまう。
 隣から頼忠が興味深げな視線を向けてきたものだから、花梨は浮かんだ笑みはそのままに、「みんなで輪飾りとか提灯とか作って、短冊書いて飾ったんだよ」と言葉を接いだ。
 図工の時間だったろうか。折紙が配られて、みんな思い思いに飾りを作った。手先の器用な子は、ちょっとばかり凝ったものをどんどんと作り上げていったものだし、簡単な作業が好きな子たちは、輪っかにするための折紙を切る作業ばかりしていた。そのうち飽きて他のことを始めるいたずら好きが出てくるのも、そんなときにはお決まりのできごとだ。
 クラスごとに作った竹飾りが、体育館に勢ぞろいしたときは、なかなか見ごたえがあったものだ。これでもかとふんだんに飾りつけをした竹もあれば、小振りにまとまっているものもあって、他のクラスの竹を見ながら面白がったものだ。内心、自分たちのクラスの竹が一番だ、なんて思いながら。
 思い出すままに頼忠に話を聞かせていると、次第に自分の記憶まで鮮明になっていくようだ。妙に細かいことまで思い出してしまったりして、余計に懐かしい気持ちが増した。
 小学校を出てから、七夕らしい行事なんてぱったりやらなくなっている。飾れるほどの立派な竹なんて、そうそう手に入るものではないし、それに第一、大勢でやらなければ楽しくないだろう。飾りも短冊も、にぎやかに付いていてこそで、数が少なくてはかえって寂しい気がする。
「やっぱり、学校とかじゃないと無理だよね」
 そう口にすると、意外なことに頼忠から、「事務所には飾ってある」という言葉が返ってきた。
「え? そうなの?」
 事務所、と言われて思い浮かべるのは、頼忠が所属しているモデルエージェンシーのビルだ。以前に一度、一緒に行ったことがある。
 小規模ながら洒落たオフィスの様子と、七夕の竹飾りとのイメージが結びつかず、花梨は目を丸くしたのだが、頼忠は淡々とした調子で「ああ」とうなずいた。
 曰く、どこにでもひとりくらいは、お祭りごとの好きな人間がいるもので、どこで見つけてきたのか、適度な大きさの竹を事務所に持ち込んだのだそうだ。そこに、これまた誰かが折紙などを買い込んできて、誰からということもなく飾り作りが始まった。結局、用意した材料はきれいになくなって、案外豪華な竹飾りになったのだそうだ。
 飾りを作った後は、もちろん、皆で短冊も書いた。職場に飾るものだから、願いごとは当然仕事のことかと思いきや、意外とプライベートなことを書いた人も多かったのだと言う。家族や友人のことに触れた、ほのぼのとした内容の短冊もあれば、宝くじが当たりますように、なんていうものもあって、皆でひとしきり笑いあったらしい。
「ねえ、頼忠さんは、なに書いたの?」
 彼のお願いごと、などというのは想像が付かなくて、花梨は興味津々、頼忠の顔を見上げた。ところが頼忠のほうは、「さあな」と涼しい顔で言ったきり、答える気配がない。
 焦らしているのだろうか。そう思って、「教えてくれないの?」と身を乗り出したのだけれど、彼は笑うばかりだ。
「なんで? 事務所の人たちは知ってるんでしょ?」
 誰にも見せていないというのなら隠すのもうなずけるけれど、それでないのだから教えてくれたって良いはずなのに。首を傾げながら、なおも尋ねたけれど、結局はポーカーフェイスでかわされた。
「それより、花梨ならなにを書くんだ?」
 切り返されて、彼への追求はそこまでだ。
 逆に、彼の質問に咄嗟には答えが見つからず、花梨は「えぇと……」と考え込んだ。
 欲しいものなら、もう手に入ってしまっているような気がする。
(頼忠さんがいてくれたら、それでいいって思うから)
 出逢えるはずのなかった人と出逢えた奇跡を、本当にかけがえのないものだと、今でも思っている。だから、それ以上に心から望むものなんてないと、今は思うのだ。
 ―― それでも。もし、ひとつだけ星に願うとしたら。
 一年に一度しか逢えないふたつの星にこんなことを願うのは、少し悪いような気もするのだけれど。
(いつでも、ふたり一緒に幸せでいられますように)
 単純で複雑な、それだけのこと。今、ここにある幸せが、ずっと続いていきますようにと、それを一番に、願っている。
 彼の手に、手のひらを重ねた。花梨のほうから指先を掴んで、軽く絡める。
 願いごと、口にしなくても、手のひらから伝わるかもしれない。握り返してくれる彼の指先に、ふたりが同じことを思っていたらいいなと、小さく微笑んだ。
「……わたしが書くこと、なんだと思う?」
 繋いだ指先を揺らしながら、問いかけた。すぐに言葉が返ってこないのは、予想通りだ。
「もし、当たったら……」
 そこで言葉を切ると、今度は追いかけるように、「当たったら?」と声が返ってきた。
「当たったら……なにがいい?」
 まっすぐに、いたずらめいた視線を向けると、不意をつかれたかのように、彼が目を瞠った。それから、目尻、口元、表情がふっと崩れる。
 耳元の髪を、さらりと掻き揚げられた。低い声が間近で囁く言葉を耳にして、花梨は微笑みながら目を細めた。
 彼が口にしたことが、花梨の胸にある想いに、ぴたりと重なるから。その幸福感に、今は目を閉じて、浸っていたい。
 彼の吐息の触れる場所が、耳元から唇へと変わるのを感じながら、心の中で、彼の言葉をそっと繰り返した。
 ―― 願いごとは、ふたりで、たったひとつだけ。

Fin.